ごあいさつ(みほとけとともに)
私たちの人生には、苦しい坂もあれば悲しい坂もあります。しかし、どのような坂に出くわしても、決して歩みを止めることなく強く生きましょう。どのようなときにも生命のみ親である阿弥陀さまに見守られ、ともに励まして下さることを深く心に決め、すなわち、み仏とともにいるとの信念のもとに、新しい坂に向かって、力強く一歩一歩を進んでまいりたいものです。
昨今、生活のあり方は大きく変化し、喜びの伝え方も大きく変わってきました。それを踏まえ、青蓮寺も変化していかなくてはなりません。喜びを伝え、感謝する仏事、通夜や葬儀、法事のあり方、そして先祖から受け継いできたお墓など、私たちを取り巻く環境は大きく変わってきています。
青蓮寺では、基本をおざなりにせず、現代的に仏教を解釈しさらに、女性の視点で捉え、先を見据え、今まで以上に真の命の喜びが未来に続いていくように願ってまいります。
私たちの人生には、苦しい坂もあれば悲しい坂もあります。しかし、どのような坂に出くわしても、決して歩みを止めることなく強く生きましょう。
昨今、生活のあり方は大きく変化し、喜びの伝え方も大きく変わってきました。それを踏まえ、青蓮寺も変化していかなくてはなりません。
青蓮寺では、基本をおざなりにせず、現代的に仏教を解釈しさらに、女性の視点で捉え、先を見据え、今まで以上に真の命の喜びが未来に続いていくように願ってまいります。
青蓮寺 院主
- 明治28年(1895)
-
初代住職 釈 徹明が開基。布教道場「洗心堂」を据え、
常説教、仏教婦人会、日曜学校の活動をする
- 大正期頃(1915)
- 成町(現・伏原)に本堂を建立する
- 昭和20年(1945)
- 戦火砲火の呉空襲で焼失
- 昭和22年(1947)
-
第4世住職 釈 紅蘭
(日本で6番目の女性布教使・親鸞劇を主宰するなど才女)が住職継承
- 昭和24年(1949)
- 青木家の寺本町土地を代替地とし私財を投じ、青蓮寺の寺領を拡充した
- 昭和26年(1951)
- 青蓮寺幼稚園を開園する
- 昭和28年(1953)
- 熊野の女学校の校舎払い下げを受ける。1階を幼稚園の園舎、2階を青蓮寺本堂とした
- 同年
- 本願寺より寺号会命令を受け、寺号を青蓮寺とする
- 昭和30年(1955)
- 本願寺真実閣から御本尊の阿弥陀仏如来像を賜わる
- 昭和55年(1980)
- 第5世住職 釈 貴清 が住職継承
- 平成20年(2008)
- 門信徒会館建立
- 平成24年(2012)
- 伏原に本堂建立(椅子式バリアフリー・エレベーター完備)
- 平成27年(2015)
- せいれんじ幼稚園園舎の複合施設を建立
- 平成28年(2016)
- 本通に中央納骨堂こころ 建立